それに“オーマの精”は歌舞伎の手法で擬人化された精なので原作ではできなかった人間サイズの姿でナウシカの腕の中で事切れるのだ。だが原作のようにアスベルがナウシカを飛行ガメで拾うことはできない。アスベル役も右近が演じているので。 人間が人間同士で殺しあうような種族であるのと反して、他種族にも憐憫を向ける優しい性格の王蟲。その精神性ゆえに、戦いを嫌うナウシカは、人間よりも王蟲に共鳴していました。 またその存在は、全体でひとつと言えるものでもあります。 この行動には周囲の人間も ただただ驚くばかり … ナウシカのおかげで兵士は命を取り止めたのです。 「風の谷のナウシカ」の原作ではこういったナウシカの母性愛についても多く描かれています。 「風の谷のナウシカ」の原作だけに登場する国や人。 ナウシカが一方的に好きになり、それらを放棄するような性格ではないので、ナウシカが好きになる相手も、どこか変わった人間だと予想されます。 ナウシカが誇り高く人間として生きている限り、ナウシカが認める相手も誇り高く生きている人間でしょう。 『風の谷のナウシカ』(かぜのたにのナウシカ)は、宮崎駿による日本の漫画作品。アニメーション監督・演出家でもある宮崎が、1982年に徳間書店のアニメ情報誌『アニメージュ』誌上にて発表したSF・ファンタジー作品 。戦争による科学文明の崩壊後、異形の生態系に覆われた終末世界を舞台に、人と自然の歩むべき道を求める少女ナウシカの姿を年代記の形で描く。1984年には宮崎自身の監督による劇場版アニメ『風の谷のナウシカ』が公開された。2019年には歌舞伎化された 。 生業は、今、作っているところです。好物は熊野と漫画と食。美味しいは正義!. 『風の谷のナウシカ』(かぜのたにのナウシカ)は、宮崎駿による日本の漫画作品。アニメーション監督・演出家でもある宮崎が、1982年に徳間書店のアニメ情報誌『アニメージュ』誌上にて発表したSF・ファンタジー作品[1]。戦争による科学文明の崩壊後、異形の生態系に覆われた終末世界を舞台に、人と自然の歩むべき道を求める少女ナウシカの姿を描く。1984年には宮崎自身の監督による劇場版アニメ『風の谷のナウシカ』が公開された。2019年には歌舞伎化された[2]。, 漫画は『アニメージュ』1982年2月号より連載を開始し、映画制作などのため4度の中断期間[3][4]を挟みながら、1994年3月号にて完結した。1994年に第23回日本漫画家協会賞大賞、1995年、第26回星雲賞コミック部門を受賞。2020年12月時点で単行本の累計発行部数は1700万部を突破している[5]。海外でも8か国語で翻訳・出版されている。, 高度産業文明を崩壊させた「火の7日間」という最終戦争から1000年後、汚染された大地には異形の生態系である巨大な菌類の森「腐海」が拡がり、腐海を守る「蟲」と呼ばれる昆虫に似た巨大生物たちが生息する。拡大する腐海に生育する菌類が放出する「瘴気」は、蟲たち以外には猛毒のガスである。衰退した人類が腐海の瘴気と蟲に怯える、荒廃した世界が描かれている。この世界に存在する、トルメキアと土鬼(ドルク)という敵対する二大列強国と、その辺境地にあるトルメキアの同盟国「風の谷」および、工業都市ペジテ市が主な舞台となっている。風の谷の族長ジルは、腐海の毒に侵されて病床にあり、ジルの娘ナウシカが代理で国を治めている。, ある日、ペジテからの避難民を乗せた輸送船が風の谷に近い腐海のほとりに墜落する。輸送船に搭乗していた瀕死のペジテ王女ラステルは、救助に駆け付けたナウシカにとある石を託し、兄に渡してほしいと懇願して事切れる。その石は、最終戦争で使われた生物兵器巨神兵を蘇らせる鍵となる「秘石」であった。巨神兵を得ようとペジテを滅ぼしたトルメキアの第四皇女クシャナが、秘石の捜索のために風の谷に飛来。検疫を受けないままの強行着陸をとがめたナウシカは、クシャナの部下と一騎討ちを演じるが、ナウシカの師匠でもある旅の剣士ユパの仲裁で停戦し、クシャナ達は谷を去る。やがてトルメキアは、土鬼との戦争のため盟約を盾として辺境諸国に出征を強いる。ナウシカは病床の族長ジルに代わり、城オジと呼ばれる数名の老従者とともにクシャナ支隊へ合流する[6]。, 土鬼の地へ向けて腐海を南進するクシャナ支隊の空中艦隊を、ラステルの兄アスベルが操るガンシップが単機で奇襲し、多大な損害を与えるもトルメキア軍機に撃ち落される。乱戦の中で風の谷の輸送グライダーは、戦列を離れて腐海に不時着水する。輸送グライダーを回収するために降下したナウシカは、同じく腐海に墜落して蟲に襲われるアスベルを救出したものの、羽蟲と接触してマスクが外れたまま腐海の下層部に迷い込む。ナウシカはそこで、腐海下層部の大気が正常であることを発見する。そして、自身が城の地下で地下水だけで栽培している無害な腐海植物との共通点を見出し、腐海が汚染された世界を浄化している真実に気づく[6]。, 劣勢の土鬼軍は、腐海の植物を品種改良し、猛毒の瘴気を吐き出す生物兵器として使用した。この人工の森の瘴気は通常のマスクでは浄化できず、蟲を死に至らせるほど強力であり、土鬼はトルメキア軍を撃退することに成功した。しかし、兵器として輸送していた菌類の苗が突如として各所で一斉に突然変異を起こし、生じた強力な粘菌が暴走し始め、事態は収拾不能になる。かねてからこの粘菌の発生を予知していた蟲たちは、暴走した粘菌に向かって大量に集結した。蟲たちが粘菌に自らを吸収させることで粘菌はやがて無毒化され、暴走は収束していく。大量の蟲が移動する現象は物語中で大海嘯(だいかいしょう)とよばれており、移動する蟲から放たれた腐海の胞子が蟲の死骸を介して広がり、腐海の領域をより拡大してしまう。結果、土鬼の主要な国土はほとんど滅亡するに至った。, 大海嘯を前に奔走するナウシカは、土鬼の地を探索するうちに、「森の人」と呼ばれる種族に出会う。彼らとの関わりの中で、巨神兵や腐海の植物群、蟲たちが崩壊した旧世界の技術による人工生命であること、その目的が腐海による汚染の浄化であることを知る。旧世界の人間たちは腐海を作り出して世界を完全に浄化したあと、火の七日間によって絶滅に瀕した動植物や科学文明勃興以前の文化を復活させるとともに、穏やかで賢い新人類をこの世に生み出し、世界を再建することを目的としていたのだ。ナウシカを始めとする現生の人類は、旧文明の時代の人々が汚染された環境に適合するよう旧文明人類に改造を加えて作りだした人工種であり、浄化の完了した清浄な世界では生存できないという事実を知る。土鬼がトルメキアから奪取し復活させた巨神兵と邂逅したナウシカは、アスベルに託された秘石を掲げ覚醒させる。ナウシカは巨神兵の母としてエフタル語で無垢を意味するオーマと名づける。生まれたばかりの赤子のような幼児性と残虐性を持ち合わせていた巨神兵は急速に知能レベルを発達させ、旧文明時代におけるあらゆる利害を調停するために人工的に作られた神、「裁定者」としての役割に目覚める[7]。, 土鬼帝国の首都シュワにある「墓所」と呼ばれる施設は、内部に旧文明の技術を保存しており、土鬼の皇帝たちに旧文明の技術を与えることで世界を動かしていた。腐海の生態系と旧世界の関係を知ったナウシカは「墓所」に向かう。「墓所」はそれ自体が意識と人格を持つ人工生命体でもあり、自らを「墓の主」と名乗るそれは、浄化が終わった後の戦争のない理想郷について語り、環境に適応するよう人工的に作られた現生人類を元に戻す技術も墓に眠っていると語る。しかしナウシカは清浄のみを追求し一切の汚濁を認めない旧文明の計画に反発してこれを否定し、「墓の主」をオーマに握り潰させて殺し、オーマの火で「墓所」を破壊する。「墓所」は新人類の卵や旧文明を研究する博士らを内部に収めたまま倒壊した。「苦しみや悲しみ、そして死も人間の一部であることを受け入れ、汚濁と共に生きてゆくこと」。それがナウシカの選択であった。, オーマはナウシカに看取られながら役目を終え、生き延びたナウシカは全ての真実を胸の奥に秘めたまま帰還する。そして、土鬼の地に留まり土鬼の民と共に生き、後に風の谷に帰ったとも、森の人の元へと去ったとも言い伝えられたという[8]。, 英語名(※漫画の英訳版、および、映画の吹替版として2003年にウォルト・ディズニー・ピクチャーズから発売された北米再吹替版〈en〉における名称)は特定できるものに限って表記する(英:〇〇と表示する)。英語名は日本語名の対訳名ではなく、あくまで英語版における当該キャラクター名や事象名を示している。映画の最初の英語吹替版である "Warriors of the Wind "(en. ナウシカは 腐海と人間が共存できる世界を作れないか と探るために独自に研究を続けていたのです。 その結果、怖いと思っていた腐海の植物たちは綺麗な水と土で育てることで瘴気を発生させないことが明らかに。 1985年発売)における名前は、ニューワールド・ピクチャーズ製ということで記号「NWP:」の後に表記する。こちらは現在は通用していないので、表記も太字で強調しない(※太字で強調しているのは現在の通用名)。, 産業文明の出現から1000年を経て極限まで科学技術の発展した人類社会が、「火の7日間」と呼ばれる最終戦争によって滅びてから1000年余りが経過した未来の地球が舞台。以下、第1話の冒頭文を引用する。, 陸地の大部分は、植物や菌類の森「腐海」に覆われ、人類の子孫は腐海の毒が及ばない安全な地域を中心に暮らしている。風の谷は潮風が胞子の侵入を拒み、豊かな森林や水源、田畑などが残っているが、それ以外の土地は不毛な荒地が多い。また、海は「この星の汚染物質が最後にたどり着く所」とされ、すでに生物が生息できる環境ではなくなっている。最終戦争以前の高度産業文明は旧世界と呼ばれ、エンジンなどの遺物が発掘、利用されているが、その製造技術を始めとする高度な科学技術の所産は失われ、人々の生活様式は中世から近世にかけての水準まで後退している。「火の7日間」は半ば伝説となっており、世界を正しい道へと導く救世主の伝説が語り継がれている。, 種の存亡の危機に瀕しても人類同士の勢力抗争は続いており、作中ではトルメキアと土鬼の間で勃発した「トルメキア戦役」の模様が描かれる。居住可能な土地を巡る争いは、腐海の拡大を招くという悪循環を繰り返しても止むことはない。また、同族内でも王位(皇位)継承権を巡り権力闘争が続けられている。, 物語の終盤では、文明を衰退に追いやった諸々の事象が、世界を再建するための遠大な計画であったという真実が語られる。「火の7日間」は兵器としての巨神兵を使い世界を焼き尽くした戦争と伝えられてきたが、巨神兵の真の役目である裁定により、人類社会の荒廃を正すためには一度すべてを無に帰す他ないと、世界破壊が選択されたことが示唆されている。, 腐海に関しても、汚染された大地を浄化するために自然発生した新たな生態系であるとの仮説が否定され、自らの過ちを悟った旧世界によって人工的に創り出された一種の浄化装置(バイオレメディエーション)であることが判明する。世界が有毒物質に覆われる前に、人類を含む生物は毒に対しある程度の耐性をもつように作り直されており、ナウシカ達現生人類を含む劇中の生物は浄化後の環境では生存することができない。これらの知識と技術は、墓所の主や庭の主など、かつて作られた人工神により守られている。, 文明崩壊によって多くの科学技術が失われており、電気や電子機器、水道、内燃機関などは使用されていない。乗り物は旧世界の科学技術の遺産である高性能な「船」と呼ばれる飛行機械が盛んに利用されているが、エンジンは旧世界の遺物であり新造することはできない。陸上では映画におけるトルメキア軍の戦車以外はトリウマなどの動物を利用する程度しかない。電話や無線等の通信技術も失われており、船上では信号旗や探照灯によるモールス信号のようなものや、伝声管などを使ってコミュニケーションを取っている。旧世界の名残から、硬化セラミックが金属に代わる一般的な素材として刃物や航空機などに使用されている。また、シリウスなどの星の名前や方角、ヴァルハラなどの神話に関する伝承は残されており、さらに活版印刷も普及している。, 物語世界では船と言えば飛行機械を指す。英語版では "airships" と呼んでいる。登場する船はいずれも噴射式のエンジンを備えているが、その製造技術はすでに失われており、遺跡から発掘したものや廃船から回収したエンジンを利用して船を建造している。, なお水上を航行する船舶に関しては、トルメキア軍の強襲揚陸艦や、また大河を渡るために門橋が使用される描写があるのみ。, 『ルパン三世 カリオストロの城』の公開後、宮崎はテレコム・アニメーションフィルムの海外合作『名探偵ホームズ』『リトル・ニモ』の制作準備に関わりながら、次回作の構想を練るために多数のイメージボードを描いた。その中には『となりのトトロ』や『もののけ姫』の原案のほか、「グールの王女ナウシカ」「風使いの娘ヤラ」「サンド王蟲(オーム)」といった本作のモチーフも描かれている[注 4]。しかし、『カリオストロの城』の興業成績の不振により「企画が古臭い」というレッテルを貼られ、アニメ業界では不遇の地位に甘んじていた[19]。, アニメージュ編集部は『未来少年コナン』や『ルパン三世 カリオストロの城』を通じて宮崎の才能に着目しており、1981年8月号において「宮崎駿特集」を掲載した。また、宮崎から『戦国魔城』と『ロルフ』 という2本の映画企画を預かり、徳間グループの映像会議に提出したが、原作が存在しないことを理由のひとつとして採用されなかった[20]。そこで、編集部はアニメ化への布石と誌面の話題作りを兼ねて、宮崎に連載漫画の執筆を依頼した。担当編集者の鈴木敏夫に口説かれた宮崎は、「漫画として描くならアニメーションで絶対できないような作品を」[20]という条件で受諾。『ロルフ』にSF的な「腐海」という設定を加え[20]、『風の谷のナウシカ』の題名で執筆を開始した。, 連載開始時には『名探偵ホームズ』との掛け持ちで多忙を極めたため、第2話以降しばらくは鉛筆原稿のまま掲載された。宮崎は映画化の際には原作も終わらせることを考えたが、アニメーション作家として地位を確立した後も執筆を続け、12年かけて完結に導いた。, 連載途中(1992年)アニメージュ誌の締め切りまでに1ページ書き足りなかったことがあり、「いいわけ」としてその1ページ分を使って趣味の軍事ショー見学記の漫画が書かれたことがあった。最後のコマでは「おわび」の「び」の字を消して「り」に直し「おわり」としている。, いくつかの宮崎作品に見られる、自然と科学文明の対立、文明の破壊と再生がテーマとされ、公害や自然破壊などの環境問題や族内紛争、戦争への批判という側面がある。[独自研究? 人間が争いをしなくなる清浄な世界に生まれ変わる。しかし ナウシカは、清浄な世界を求めているのにもかかわらず墓所 を破壊する。この破壊の根拠となっているのが、ナウシカの 生命観である。ナウシカと墓所との対決の場面では、ナウシ ], 宮崎は少年時代に読んだ『マクベス』の「森が動く」という台詞に驚き、植物のことを扱いたいという意識を持っていた[21]。漫画家志望だった学生時代には革命ものの習作を描いていたが、本作では「人間がいる世界というか、自然物というか、そういうものとの関係を語らないと、生産と分配の問題だけを論じてもくだらないことになると思ったんですよ」[22]と述べている。, 物語序盤に提示されていた自然と科学技術の対立という構図は、後半では世界の浄化を巡るより複雑な構図に変化していく。宮崎は、この作品を結ぶにあたり影響を受けた事件としてユーゴスラビア内戦を挙げ、「あれだけひどいことをやってきた場所だから、もう飽きているだろうと思ったら、飽きてないんですね」「戦争というのは、正義みたいなものがあっても、ひとたび始めると、どんな戦争でも腐ってゆく」[23]と述べており、これを物語終盤に反映させた。, 宮崎は風の谷のイメージを「中央アジアの乾燥地帯なんです」と発言し[24]、腐海のモデルはウクライナ、クリミア半島のシュワージュ(腐海)[注 5]としている[25]。オーストラリアのオルガ山(カタ・ジュタ)には風の谷 (Valley of the Winds) という場所があるが、スタジオジブリによれば関連はない[26]。宮崎の初連載漫画『砂漠の民』[27]も中央アジアを舞台としており、主人公の属するソクート族の王都「ペジテ」が登場している。「古エフタル王国」は言語などが謎に包まれたエフタルと呼ばれる中央アジアの遊牧民、「トルメキア第四皇女クシャナ」はインド北部に生まれたクシャーナ朝との関連が指摘される[28]。旧世界の産業文明が発生した場所はユーラシア大陸の西、つまりイギリス周辺としている。, 宮崎によれば、作品の出発点になっている自分の考えを、自分で検証することになって、後半はこれはダメだという所に何度も突き当たらざるを得ないことの連続だったという。予定調和なユートピアを否定することになり、ぐちゃぐちゃになってしまったとも語る。体力的にも能力的にも時間的にも限界で、何の喜びもないまま終わって、完結していない作品だと説明している[29]。, ベースになった映画企画『ロルフ』は、アメリカの漫画家リチャード・コーベン (Richard Corben) のコミック"Rowlf"(1971年)をもとに、「小国の運命を背負うお姫様」という着想を得たもの[25]。宮崎は東京ムービー新社に対して"Rowlf"の版権取得を提案してもいる[30]。『ロルフ』は宮崎が漫画家の手塚治虫と共同で映像化しようとしたものの[31]、原作者が許可しなかったために立ち消えとなった企画だった。, 主人公ナウシカのモデルとして、宮崎は日本の古典文学『堤中納言物語』に登場する「虫愛づる姫君」を挙げている[32]。名前はギリシア叙事詩『オデュッセイア』に登場する王女ナウシカに由来する[32]。作品内に登場する人名や地名などには、実際の歴史的事項に一致または類似するものもある。例えば、クシャナはインドの王朝名(クシャーナ朝)、地名エフタルは実在の遊牧民族名、ミラルパは実在のチベット仏教行者(ミラレパ)など。, ルネ・ラルーのアニメ映画『ファンタスティック・プラネット』(1973年)や、手塚治虫、諸星大二郎の影響も指摘される[33][34]。なかでもフランスの漫画家メビウス[注 6]の『アルザック』(1975年)には強い影響を受け、宮崎自身メビウスと対談した際に「『ナウシカ』という作品は、明らかにメビウスに影響されつくられたものです」と語っている[37]。また、腐海と人間との関連性には、中尾佐助の唱えた照葉樹林文化論も影響している[38]。他に『パステル都市』『地球の長い午後』『デューン/砂の惑星』等のSF小説の影響を指摘する論者もいる[39]。, 2019年12月に本作を原作とした新作歌舞伎が新橋演舞場で上演された[2]。宮崎作品の歌舞伎化は初めて。昼夜2部の通し上演で、全7巻におよぶ原作ストーリーの全貌が前後編で描かれる[40]。(詳細な構成は下記参照)映画版の冒頭部にあるタペストリーを舞台幕とし、最初に口上役が世界観を絵解きする演出が用いられている[注 7]。また、久石譲による映画版の音楽を和楽器で演奏した版が随所で用いられる。, 翌2020年2月から3月にかけて、舞台の録画中継映像が全国の主要映画館で上映(ディレイビューイング)される。(前編2月14日 - 2月20日、後編2月28日~3月5日)。またNHK Eテレの番組「ETV特集」にて(同年1月25日23:00~24:00)制作の舞台裏に密着取材した「ナウシカ誕生~尾上菊之助が挑んだ新作歌舞伎~」が放送された。, 2021年1月2日に前編、翌3日に後編がNHK BSプレミアムにてノーカット放送された[41]。, いくつかの宮崎作品に見られる、自然と科学文明の対立、文明の破壊と再生がテーマとされ、, 1980年代のロサンゼルスのフランス人コミュニティには日本アニメ愛好家による不法コピーのビデオテープが流通していたという, 原作での表記は「チヤルカ」であるが、公演では「チャルカ」とされており、役者もそのように発音していた。, 1983年7月号〜1984年7月号、1985年6月号〜1986年11月号、1987年7月号〜1990年3月号、1991年6月号〜1992年2月号。ほかにも休載号あり。, 映画「風の谷のナウシカ」の原作漫画が掲載されている、雑誌『アニメージュ』(徳間書店発行)の巻号を知りたい。, https://www.youtube.com/watch?v=RVENSCR2ZRg&t=12m43s, 〈よむ〉1994年6月号─『風の谷のナウシカ』完結の、いま/小説からよむサラリーマン, Animeland - Articles - Miyazaki / Moebius, la vidéo, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=風の谷のナウシカ&oldid=81659586, 初期の版(2刷以降) - 表紙に〈ANIMAGE COMICS ワイド判〉と表記。デザインも現行版と同じであるが、「新装版」という文字が入る。. 漫画版『風の谷のナウシカ』を読む連載の3回目。前回に引き続き、主人公のナウシカを読む。, 私は、ナウシカというキャラクターを、人間性と非人間性という軸でよく見ている。自分が人間社会に溶け込めない存在のように感じていたからかもしれない。だが、ナウシカの非人間性を追っていくと、必然、人間的な存在と非人間的な存在の境界は曖昧になっていく。私は、そういう物語を産み出した、宮崎駿という日本人が大好きだ。ここに描かれているもの自体は、とても普遍的なもの。でも、日本人だからこそ受け取りやすくなっている部分がきっとある。, 先月の読書会で、首を傾げたことがある。ナウシカの人間的なシーンが印象に残っていない人が多いのだ。「チコの実以外、何も食べない人みたい」「趣味とか、全然無さそう」「全てが自己犠牲で、自分の時間が無いように見える」そんな声を聴くたびに、私は「おや~?」と思っていた。ナウシカに「不眠不休で食事もせず、蟲と話せるナゾ能力があって、世界平和と自然保護のために24時間働ける超人」というイメージがあるようだ。, (それにしたって、ずいぶんと極端な見方じゃないか?)そう思って、脳内検索をしてみた。ナウシカが人間らしさを見せた場面と言えば、水辺で一人「なぜ族長の家なんかに生まれたんだろう」と悩むシーンが、すぐ思い浮かぶ。キャラ設定として重要だからこそ1巻の早めに出てくるエピソードのはず。なのに、多くの人の印象に残っていないのが不思議だった。, 趣味についてもそうだ。「ナウシカの趣味なんて、蟲と植物に決まっているじゃない!」私はそう思っていた。まぁ度を越しすぎてて、とても趣味に見えないかもしれないけど……。風の谷の爺さまも「姫様の腐海遊びもムダではなかった」と言っていた。やっぱりあれが、彼女の遊びで趣味なのだ。遊びの付録として、王蟲の抜け殻を発見できちゃうこともあるけれど、爺さまたちのセリフからすると、通常時はムダだと思われていたのだろう。, どうも、ナウシカは「超人」のイメージが強すぎて、人として当然持っている性質でも、見落とされてしまうらしい。ここはひとつ、改めて読んでナウシカのいろんな側面を追ってみてほしい。でも、気をつけて見ていただきたいポイントが一つある。ナウシカの「超人」性には二種類あるのだ。, ナウシカというキャラクターは能力値が異様に高い。世界情勢が無理ゲー状態なので、彼女の立場はそれでも苦しいけれど、普通のゲームだったらチート並みに強いはずだ。漫画の中で出てくるナウシカの能力を列挙してみると。, スキルが広範な上に、それぞれの能力のレベルがこれまた高い。剣士としては、トルメキアの親衛隊の装甲兵を倒すほどの腕。メーヴェでは、飛行中の中型戦闘機の尾部に、乱気流を利用して飛び込む。博学な剣士として高名なユパが半生かけてもわからなかった、腐海の謎のヒントに、16歳にして気づいている。飛行機墜落現場では生存者の探索・救助・看取り・埋葬、軍医不在の部隊では重症患者の命を救う。, 実在の人物でたとえてみると。宮本武蔵+エーリヒ・ハルトマン+南方熊楠+ナイチンゲール+他?うーん、超人的過ぎる(笑)これは確かに、共感できる人が少ないのもうなずけてしまう。でも、ユパ様のセリフによれば「ナウシカにならなくても、同じ道は行ける」そうなので、先に進めてみよう。, ナウシカは、ある種の超能力者だ。ユパも「蟲の心がわかるようだ」と言っているが、漫画でナウシカの心のうちまで読めてしまう我々読者には、彼女は本当に蟲の心を聴いていることがわかる。(ちなみに、細かい話になってしまうけれど、宮崎駿の“念話”の描き方は、とても感覚的で素晴らしいので、ぜひ本でご確認いただきたい), 映画では、ナウシカが唯一の超能力者として描かれている。だが、漫画のナウシカの世界は広いのですよ。2巻の冒頭から、念話能力者が登場し始め、マニ族の僧正から始まって、セルム、ミラルパ、チクク、そして、物語後半に出てくる各種の人造生命体、巨神兵やヒドラに至るまで、近距離の念話くらいは普通にできる人(?)たちが続々出てくる。, 一般的というわけではなく、やっぱり希少な能力ではあるらしい。 ただ、物語の舞台が土鬼神聖帝国に入ってくると、少し違った様子もある。為政者であるミラルパ自身が超能力者(おそらく世界最強の能力の強さ)だということもあり、上級公務員である僧官などは、自分自身に超能力が無くても、知識だけはあるのだ。僧官がこんなことを言うシーンがある。「通訳してくれよ。わしは僧兵あがりで念話の技も才能もないんだぞ!」英語が話せない上司みたいなセリフだ。土鬼帝国の上級公務員にとっては、念話程度の異能なら、英語スキルくらいの気軽さで扱える話題なのだ。ちなみに、ナウシカの世界の権力トップは、超能力者の比率が高い。土鬼帝国は成り立ちからして、超常の力で民衆を支配するスタイルだし、土鬼皇帝の前の時代も王族は超能力者だった。トルメキアの王族は、そこまで超能力者っぽくはないけれど、クシャナの直感力まで含めれば、権力のトップはみな、程度の差はあれ、なんらかの能力者の血筋だと言ってもいいと思う。生存確率の低い世界では、必然的にそうなるのだろうか。五感を超えたセンスで、自分に属する民の生存率を上げるリーダー。現代社会においても、起業家の世界などでは、通じる話かもしれない。, 実は、クシャナ殿下もちょっぴり能力者だと私は思っている。ナウシカ同様、感情が高ぶる等の特殊な時だけ、発動する能力がある。普段は冷静なクシャナが平静を保てなくなる唯一のトピックが、母だ。クシャナの生きる理由は、母の仇を討つことだった。この仇の最期を見るクシャナの目、あれは肉眼で見た景色ではないと思う。あの距離で表情が見えるわけがないのだ。でも、宮崎駿は、わざわざクシャナの目を描いてまで、彼女が「見ている」ことを表している。瞬間しか発動しないが、クシャナは潜在的な「千里眼」の能力者だ。, また、おそらく、腐海に住む「森の人」や「蟲使い」たちは全員、ある程度のエンパス能力者だろう。森の人の主食は蟲の卵で、採るのではなく、分けてもらうのだと言う。そんな暮らし方だから、蟲の気配や感情を察知しないと、やっていけない。意志を伝えあうほど強い能力ではないかもしれないが、受信能力は暮らしに必須なのだ。, 現代でも、猟師やレンジャー、山林管理など、よく山歩きをされる方には、少しこういう感覚があるんじゃないかと私は思っている。海で漁をする方も、そうかもしれない。五感プラスアルファで入ってくる情報を、脳が自動処理して導き出す直感によって、危険性やその日の収量など、瞬間的にわかることがあると聞く。, 古来、日本人は、自然との交感力が強かったんだと思う。山で、森で、海で、人間以外の生きものの種類がとても多いこの国で、そういう暮らしをしていたから、当然だ。でも、現代、そういう暮らしを離れてさえ、ナウシカのような物語を通じて、見えるものはある。きっと、言葉や、生活習慣や、伝えられてきている物語の中に、OSが入っているんだろう。, 「虫を見てると、吹き出しをつけたくなっちゃうんですよ」ある人がそう言っていた。手がかりになるのは、そういう感覚だ。別に、本当に声として聞こえるわけじゃない。それでも、微細な意志のようなものを感じたり、意志ある者として虫を見たりするのは、現代も残る日本人の自然との交感力の顕れかもしれない。, ここまでをまとめると。・ナウシカは、人間らしい悩みも、超人的な能力も、両方を持っている・超人的な部分は2種類ある  A:人並外れて高い能力(剣、飛行、看護etc.)  B:普通の人は持ってない超能力(交感力&念動力)・Bの能力者はレアだけど、ナウシカ1人ではない・ナウシカほど強くはなくても、自然との交感力のある人々は結構いる・日本人も、古来、自然と交感して暮らしてきた, 自然と交感するOSを起動して、再び、ナウシカの行動を見てみる。すると、ナウシカの、突出した非・人間性が浮かび上がってくる。(人間と非人間の境界ラインが、これでいいのか、迷うけど), ミト「失礼ながら、人間よりも王蟲の運命にずっと心ひかれておられるようだ……『王蟲の心をのぞくな』という古い言い伝えがあります。もどれなくなる、と……姫さまがどんどん蟲の方へ行ってしまうようで……」, セルム「これまでも王蟲と交感した者はいた。だが、王蟲の心の深淵までのぞいた者はいない。もろい人の心は深淵の前にくだけてしまう。この少女は深淵の岸辺に至った稀有の力の持ち主だ」, 自然のものと交感する力なら、昔の日本人は当たり前に持っていた。でも、ナウシカのそれは、もう交感というレベルではない。人の言葉をしゃべる王蟲と言った方がナウシカの本質に近いかもしれない。ナウシカが王蟲の世界に惹かれていることは、物語冒頭から提示される。でも、漫画をお読みいただいた方はご存じだろう。話が進むにつれて、王蟲の血で青く染まった服を着たり、王蟲の漿液をもらったり、王蟲の世界とのコネクトが、人間の度を越えて深まっていく。, それはまるで、王蟲をはじめとする腐海の生物のロジックをインストールしていくプロセスのようだ。「食べるも食べられるも同じこと」という、腐海のロジック。「個にして全、全にして個、時空を超えて心を伝えゆく」という、王蟲のロジック。これらが衣食を通じ、心を通じて、ナウシカにインストールされていく。物語冒頭のナウシカは、レア能力を持った「人」かもしれないが、終盤のナウシカは、人の繋がりや蟲との繋がりを含めれば、「人の形をした複合生命体」だ。, 私の目には、ナウシカは「人の姿をした人外のもの」として顕れてくる。そして、一見するとわかりにくい人外の世界のロジックも、ストーリーを通じて徐々に紹介されているおかげで、だいぶ消化しやすくなっている。(それでも、読んで理解するのは大変だけどね……)さらに、私たちは、幸運なことに、ナウシカの世界から遡ること千数百年前くらいの、AIやバイオテクノロジーの恩恵を受ける世界に住んでいる。実は、こうした現代テクノロジーが、人外のナウシカの世界観を理解するのに、とても良い手助けになるのだ。そんな流れで、次回は「今だからわかるナウシカの世界:グリッドコンピューティング編」をテーマにしたいと思う。, アニミズム(すべてのモノに魂が宿るという考え方のこと)を信じる一市民です。 2021年1月20日(水)に、ジブリがいっぱい collection スペシャルより、新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』(2019年12月6日(金)~12月25日(水)新橋演舞場にて上演)のブルーレイ(2枚組)&dvd(4枚組)が発売される。この度、発売を記念して、名シーンが公開となった。 宮崎駿監督が自然と人間の共存を描いた名作! 2020年最後に締めくくるのは、トリを飾るにふさわしい宮崎駿監督の不朽の名作。物語の舞台は、“火の七日間”と呼ばれる戦争で文明社会が滅んでから1000年 … 作品設定は、『ANIMEGE COMICSワイド判 風の谷のナウシカ』1(1983)の裏表紙 に次のように記されている。 ʻ風の谷のナウシカʼにみる、登場人物の話体 髙 橋 永 行 Nagayuki Takahashi ― 対人間関係における言語行動 ― A Study of the Speech Styles of the Characters Seen in the Movie つまりナウシカ達、この世界で『人類』とされている者たちは人間ではないのである。詳しい説明は原作を読んでいただくとして、そういうことになってくると、ナウシカのサイズに関してにも疑問が湧いてくる。 人間関係って、大変ですよね。スムーズな人間関係を保つことは、人生を生きて行く上でとても大切です。偉人・有名人は、人間関係をどのようにとらえていたのでしょうか? 彼ら彼女らは、人間関係をうまく築こうと思うなら、まず自分自身に目を向ける必要があると考えているようです。 ナウシカの正体については、「宇宙船で別の惑星から来た宇宙人」、「人造人間」などの仮説があります。 ですが、結論からいうと、 映画では、風使いと紹介されていましたが、ナウシカの正体は蟲使いだと考えられます。 漫画版『風の谷のナウシカ』を読む連載の3回目。 前回に引き続き、主人公のナウシカを読む。 私は、ナウシカというキャラクターを、人間性と非人間性という軸でよく見ている。 自分が人間社会に溶け込めない存在のように感じていたからかもしれない。 サイズ:縦11.5cm×横20cm ※画像はイメージです。デザイン、サイズ、仕様は変更する場合があります。 (C) 1984 Studio Ghibli・H ※制作/トップクラフト ジブリがいっぱいCOLLECTION 宮崎 駿 監督作品 『風の谷のナウシカ』 ----- 新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』【Blu-ray】 - 尾上菊之助 - DVDの購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!みんなのレビュー・感想も満載。 旧文明の人間は、新しい世界に適応するように再度、身体を改変すると主張しているが、言うだけならどうにでもなる。ナウシカたちは、汚染された世界に適応した/適応させられたポストヒューマンだ。しかし、ポストヒューマンは彼女たちだけではない。 2002年12月。12月2日(火) そろそろ更新してください、とhp担当者のやんわりと厳しい催促を受けてしまったので、コンディション作りもままならないまま《僕》のダイエット日誌を更新することに致しました。 前回言い訳を書いた後、ジブリ内部では物理的な変革…